こんにちは。ケンスケです。
現在は27歳で、せどりで独立して2年が経ちます。
地元は福井県ですが、今は静岡県に住んでいます。
上の写真はタイ、バンコクにある世界で2番目に広いスターバックスで撮影しました。
小学校〜高校
僕は福井県敦賀市にて育ちました。
両親は僕が3歳の頃に離婚し、物心ついた頃には母と義理の父のいる家庭にいました。
家から窓を開けると、日本三大木造鳥居がある神社が見えて、夏には近くでお祭りがある。
そんな活気のある地域にいました。
高校
高校に入ってからハマりこけたのは、ゲームセンターの音楽ゲームであるjubeatとビートマニアです。
僕は青春の全てをこのゲームに捧げました。
土日に海鮮丼のお店でアルバイトして、稼いだお金は全額ゲーム機に投下。
大会にも積極的に参加して、各地の実力者と対戦するために遠征も行いました。
しかしその反面、おろそかにしていた学業では赤点だらけで単位が足りずに、1年生で留年が確定。
僕は高校を中退して、夜間高校に再入学しました。
上京を決意
高校を卒業した後は「このまま地元に就職するのはつまらない人生だな」と感じていました。
そんな中で、「本当に音楽がやってみたい」という気持ちと「なんとなく刺激が欲しい」という気持ちで上京を決意。
ちなみに楽器は、高校3年生の頃にギター教室に通っていましたが、たいしてギターは弾けないのに上京しました。
でも当時は、上京してさらにレベルの高い講師の方に習う事で、より早い上達を試みたかったのです。
そんないきさつから、当時19歳の僕は、半ば勢いで上京を選択しました。
東京でニート生活→借金で詰む
しかし、待ち受けていたのは華やかな都会の生活ではなく、バイト先(サークルK)の店長に叱られる日々でした。笑
結果的に数々のアルバイトを経て、生活費が回らなくなり、人生初の資金ショート。親に借金をすることに…
原因は僕の根性の無さからか、アルバイトに入っては辞めて、入っては辞めてを繰り返していたからです。
気づけば、新しい履歴書を書く気力もなくなってニート生活。
毎日10時間以上寝て、働かずして飯を食べて、ぼんやり映画を見て、寝る。
ギターもすっかり部屋の隅でホコリをかぶっていました。
そんな僕に転機が訪れます。
実父の急逝
ある日、僕は近所のよく行くラーメン店でご飯を食べていました。
食べ終わってお店を出ると、幼い頃に両親の離婚で生き別れた姉から1本の電話がありました。
姉は普段はめったに電話なんてかけてこないので、電話に出る直前はなんだか違和感のようなものを感じました。
姉からでた言葉で一瞬、頭が真っ白になりました。
「オトンが事故にあって、死んでしもた…」
姉の声は震えていました。
地元に帰省、就職
「いい加減に、マジメに生きないとダメだ。」
そんな言葉が父親の葬儀が終わった後に、僕の頭の中でずっとグルグルしていました。
僕は東京での生活をやめて、地元で就職することにしました。
地元のゲームセンター繋がりで仲が良かった先輩に、原子力発電所の警備員の仕事を紹介してもらいました。
勤務先は地元ではなく、静岡県になりましたが、学歴もない自分には他によさそうな働き先も無かったので、静岡で働くことにしました。
まさか、その時に静岡に行くという決断が、その後の人生を一変させるなんて、当時は思いもしませんでした。
会社員時代
警備員の仕事は、決まったルートのパトロールや、手荷物検査など、とても単純作業でカンタンな仕事でした。
仕事や収入面に不満は無かったものの、どうしても感じる事がありました。
「なんか人生がつまらない。」
休日はゲームセンターに行ったり、気を遣いながら会社の先輩と食事に行くだけ。
なにか変化が欲しいと思ったので、まずは休日に会える友達をつくることから行動をはじめました。
新しい人間関係を築いていけば、なにか新しいものが見える気がしたのです。
SNSで繋がれる時代
僕は地元を離れて、知り合いはひとりもいなかったのでSNSを使って人と会うことにしました。
その頃、使っていたのはTwitterではなくmixiです。
そんな中で、今後の人生を左右することになる出会いがありました。
僕が中古せどりをはじめるキッカケにもなる、Hさんとの出会いです。
彼はふだんは会社員をしながら、副業をしていました。
僕もなにか新しいことを始めたいという欲求があったので、その副業について話を聞いてみました。
せどり塾に入る
そうして僕は「せどり」という存在を知り、せどりを教えてくれる塾に入りました。
当時は店舗の新品せどりをしていました。
最初の2ヶ月目はゲーム機を縦積みしたら値崩れが発生して、月利マイナス4万8千円とはじめての赤字を経験するも、なんとか3ヶ月後には月利15万円まで数字を伸ばせました。
「もしかしたら、このまま会社員を辞めることもできるかも??」
そんな考えも浮かんできました。
とはいえ、当時は会社員を辞めても、もしもAmazonアカウントが閉鎖して、収入源が無くなる事が怖かったので、独立までは考えていませんでしたが…
そんな僕に、転機が訪れます。
謎の体調不良
会社員になって、3年が経つ頃に、僕の体には異変が起こるようになりました。
なんの前触れもなく、急な腹痛に襲われるようになったのです。
友達と車に乗っている時に、腹痛に耐えきれず、道中で休憩したこともあります。
病院でお医者さんから言われた言葉は「ストレスが原因です」という言葉でした。
当時の僕は、会社で気を遣い続けなければならない人間関係に消耗しきっていたのです。
僕はこのまま、警備の仕事を続けるのは不可能と思いました。
そう、せどりで独立する決意をしたのです。
せどりで独立
12月のボーナスを受け取って、退職届を上司に提出しました。
独立は正直、勢いです。
金銭面など、後のことを計算して独立したわけではありません。
そして、独立した当初は新品のせどりしかしていなかったのですが、キャッシュがうまく回っていない事に気がつきました。
「このままではマズい…また東京に行った頃のように、親に借金だけはしたくない…」
そんな事ばかりを考えている中で、僕をビジネスの世界に誘ってくれたキッカケであるHさんと食事に行くことになったのです。
中古せどりにシフト
そのHさんは久々に会ってみると、現在は中古せどりにシフトしていました。
「中古せどりは、利益率がいい、低資金で仕入れができる、商品ひとつあたりの利益金額が大きい」
そんな話を聞きました。
「それなら現状を打破できる」そう気づいて、中古せどりにシフトしました。
月利120万円を達成
中古せどりに切り替えてからは生活も安定して、今は行きたい場所に旅行に行ったりして、のんびり過ごしています。
2020年には、せどりで最高月利120万円を達成しました。
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